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Takanobu Sawagaki
 
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5.氷底水流とScabland -Back to Bretz?-

単一水源と頻繁な氷河ダムの決壊を機軸とする近年の“Multiple Missoula Floods”説は,詳細について多くの結果が示されてほぼ定説となった.しかし,実際には,Set-Sがホントに2枚のテフラなのか,あるいは水中に堆積した1枚のテフラではないか,という点や,Rhythmiteの堆積シーケンス中の風成層の認定やvarv状の堆積物の年層の数え方などに問題が残されており,排水イベントの数や間隔に関する“Multiple”な部分の議論は完全に決着したわけではない.この点に関するslackwater堆積物の解釈論争は,“many-beds-per-flood”vs“one-bed-per-flood”論争とも呼ばれ,現在もなお議論が続いている.

Bakerは,1973年以来,単一の巨大洪水でRhythmiteの複数のユニットが形成されたことを説明できるのではないかという“サージ仮説”を提唱して(Geol. Soci. Ame. Spec. Paper, 144),“many-beds-per-flood”の立場をとっている.つまり,巨大洪水時,Lake Lewisをはじめとする地域にSlackwaterがある程度安定して存在していたフェーズがあり,その中へいくつかのサージが流入するたびにRhythmiteの1ユニットが形成された,という解釈である.Carson(1978)やBjornstand (1980)は,Rhythmite中に認められる荷重変形構造などを示して,この考えを支持した.

前項でも述べたように,Baker(1973)は,“サージ仮説”を検証する手段として,Slackwater堆積物のRhythmiteの層相をTurbideteに似た密度流のシーケンスとして解析できる可能性もあわせて指摘した.この示唆を受けて,Slackwater堆積物の層相をTurbiditeの模式シーケンスである“Bouma(1962)のシ−ケンス”に対応させる試みも行われている(Bunker, 1980: MA thesis, UT; Waitt, 1980 ).しかし,Bakerは後のレビュー(1985: QSR, 4)で,Slackwater堆積物の研究の中には適切な検討をしないまま安易にTurbideteという用語を持ち出す例もみられる,と,暗にWaittらの研究に苦言を呈している.同時に,“Multiple Missoula Floods”説は多くの仮定の積み重ねの上にようやく成り立つものだ,と批判している.

一方,Waitt(1980: J.Geology, 88)は,Carson(1978)やBjornstand (1980)が示したような荷重変形構造は,Burlingame CanyonのRhythmiteでは認められない,ときっぱり否定し,“one-bed-per-flood”の立場を強調している.最近では,Smith (1993)が,堆積学的見地からSlackwater堆積物を詳細に記載し,“one-bed-per-flood”の考えを支持する結論を得ている.WaittとSmithに共通する点は,水から解放された時期を示す根拠として生物擾乱の痕跡を重要な証拠に挙げていることである.しかし,生物化石そのものを見つけているわけではないし,生物擾乱の痕跡を,他の堆積学的変形作用と厳密に区別することに成功しているわけでもないので,この点は今後も議論の中心になるものと思われる.

“many-beds-per-flood”vs“one-bed-per-flood”論争の最新の議論は,"The Channeled Scabland: Back to Bretz?"と題したShaw他(1999: Geology, 27-7)の論文およびそれへコメント/リプライにみることができる.これは,ドラムリンの成因に関して氷底水流説を提唱するShawらの従来の主張の延長上にある議論ともいえる.

Shaw他(1999)は,まずWaittやのAtwaterが行った洪水イベントのカウント方法への疑問を提示している.特に,Glacial Lake Missoula付近のRhythmite中の風成層・風化・古土壌などの解釈に疑問を呈し,水源域が水から解放された時期の認定に問題があるとしている.Shaw他(1999)の解釈では,Glacial Lake Missoula付近のRhythmite中の砂層は,氷河湖決壊で干上がるたびに形成されたものではなく,氷底から氷河前縁湖に排出された突発水流イベントによるものでも説明できるという.つまり,湖は頻繁に決壊したのではなくてWaittやAtwaterの想定よりも長期間維持されていたという解釈である.また,Slackwater堆積物中のRhythmiteについては,氷床底からGlacial Lake Columbiaなどを経由してScablandへ直接放出された単発の大洪水とそれに含まれるパルス水流で説明できるとした.つまり,“Missoula Floods”説の構図で,排水域と水源域とに分けられてきた二つのRhythmiteは,氷床からみればどちらも排水域に相当し,同様のプロセスで説明できることになる.

Shaw他(1999)は上記の指摘に加えて,水源についても言及している.Bretzの一連の研究やBaker & Bunker (1985: QSR, 4)などでは,Glacial Lake Missoula以外の水源の可能性や,“Missoula Floods”で想定されている水量の数百倍の規模の洪水の可能性が指摘されてきた.Shaw他(1999)は,氷床底の水流侵食地形を研究してきた立場から,Channeled Scbland西部の侵食地形については“Glacial Lake Missoula”からの水流よりもCordillera氷床底から排出された水流を想定したほうが容易に説明できるというBretzやBakerらの指摘を支持して,“Glacial Lake Missoula”を“Channeled Scabland”の形成に関与した唯一の水源とする見方に異議を唱えた.これに対し,アリゾナ大の小松他(2000)がモデル計算を行って“Glacial Lake Missoula”だけでは水量が不足することが示唆されるというコメントを寄せている(Geology,28-6).

Shaw他(1999)の考えに対して,Atwater他(2000)が反論のコメントを寄せている(Geology, 28-6)が,従来の結果を繰り返し述べているにすぎず,論調はやや弱い.なお,このコメントには双方の議論の根拠をまとめた対応表が掲載されており,比較的よくまとめてあるので,今後の議論の中心となるだろう(この表はPDFで入手できる).

近年,海洋循環が地球規模の気候変動に影響を与えてきたことや,“Rapid Meltwater Puls Events”と称される海洋への急激な陸水の供給があったことが明らかになるにつれて,“Spokane Floods”の数千〜数万km3と見積もられている水量が海洋に与えた影響についても議論されはじめており,氷床底起源の水流も含めて,正確な排水量の見積もりやその発生時期の解明が注目されている.カルフォルニア沖の海底堆積物や地形に,この問題を解く鍵が残されている可能性も高い.

このような近年の動向を考えると,Bretzの“Spokane Floods”説はけっして古びた考えではなく,むしろBretzが態度を保留していた時期に戻りつつあるといえる.1920年代に,激変説への拒否感によって否定された“Spokane Floods”説は,“Glacial Lake Missoula”という水源が確保されたことも助けとなって1960年代に復権を果たした.その後“Spokane Floods”説は“Missoula Floods”説として定着し,1980年代には“Multiple Missoula Floods”説として修正されることになった.そして21世紀を目前にして,今度は“Glacial Lake Missoula”依存への疑問を通じて“Multiple Missoula Floods”説への反論が提出されている.21世紀に入った今,水源を特定せず巨大な洪水を想定した“Spokane Floods”説の復権を再度はかる時機がくるのかもしれない.私は,この次世代の新たな仮説は“Multiple Souces Ice Age Floods”説と呼ぶのがふさわしいのではないかと考えている.

上記でも述べたように,近年の議論は“many-beds-per-flood”vs“one-bed-per-flood”論争に集中している.しかし,Channeled Scablandの全体像から見れば,この議論はSlackwater地域の特定の堆積物しか対象にしておらず,往々にして“木を見て森をみず”といった議論に陥る傾向があるようにも見える.そもそもBretzは,巨大洪水の根拠として,巨大リップルマーク・巨大砂州・巨大扇状地など,もっと大きなスケールの侵食地形や堆積物を根拠に挙げていたはずである.Bretzは,個々の細かな事象を全体に整合させていく地形発達史的視野も一環して保ってきていたのである.我々は再度Bretzに回帰し,今後のScabland研究において,全体のコンテクストを大切にする視野を忘れないようにしていかなければならない.

科学哲学的に考察すれば,激変説は一旦受け入れられたように見えても,実はそうではなかったのではないかとも思える.Bretzの考えが受け入れらるには,“Spokane Floods”説はあくまで“Missoula Floods”説でなければならなかったし,それが“Multiple Missoula Floods”説として修正されたことで,激変の度合いも弱められることになったからである.“Multiple Souces Ice Age Floods”説を擁して“Spokane Floods”説への回帰を主張している氷底水流派は,このところ氷河地質学の分野でも,“Drumlin問題(澤柿・平川,1999: 地学雑誌, 107)”を通じて“漸進的氷底変形説”に対して無勢を強いられている.それだけに,漸進主義の強力なドクマを打破するには,まだまだ相当の抵抗を覚悟しなければならないだろう.“実はBretzも氷床底からの水流の可能性も考えていたのではないか”,と邪推を巡らせることもできる.しかし彼の亡き今となってはそれも確かめようがない.果たして,Bretzが生きていたら,今の状況でどんなことを考えるのであろうか.

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