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Takanobu Sawagaki
 
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From 2005/04/01

4.現在の定説

洪水の痕跡を残す地域と水源が明らかになったことろで,突発的な洪水の発生時期,回数およびメカニズムが問題として残された.

P5010005s.jpg1960年代までの編年は,主に氷期・間氷期の編年に同調させる形で行われてきた.その際に注目されたのがレスとその中に発達した古土壌である.Channeled Scabland東部の平坦地は,Bull Lake氷期(イリノイ氷期に相当)以前に遡るレス(“Palouse loess”と呼ばれる)に厚く覆われている(最大で75m).レス中には顕著な不整合があって,上位のものは最新氷期のレスと考えられており,“Pinedale Loess”と呼ばれている.また,これらのレスに覆われる地域の地表には“Palouse Hills”と呼ばれる流線型の丘が連なる地形があって,巨大洪水による侵食で形成されたと解釈された,また,これらのレス起源の物質が洪水堆積物の中に一般的に含まれていること,逆にレス中に礫層が挟まれている場合があることなどから,レスが堆積していた最中かそれよりも後に洪水が発生したと考えられた.

1930年代までのBretzは,Channeled Scablandの形成に一回きりの洪水しか想定していなかった.その後,Bretz他(1956: Geol. Soc. Ame. Bull.,67)やBretz(1969)では,Couleeの侵食度や高度分布などを根拠にして,不特定の水源から6回(1969の表では8回)の洪水が関わっていたと考えを修正する(*).

(*)後にBaker (1973: Geol. Soci. Ame. Spec. Paper, 144)がこの中のいくつかを統合して,確実な洪水は5回であり,可能性としては6-7回もありうる,と述べている.

Rhythmite.jpg1970年代以降,排水時期を探る地質学的手がかりとして,“Glacial Lake Mssoula”と“Glacial Lake Columbia”の二つの氷河湖に堆積した湖成層と,流出域に堆積した“Slackwater”堆積物が注目されるようになる.“Slackwater”とは,地形的狭窄部によって流れが妨げられてよどみができ,比較的静穏な状態となった水流を指す.Channeled Scablandの下流域には“Wallula Gap”とよばれる顕著な狭窄部があって,その背後にできたLake Lewis地域にSlackwater堆積物が分布している.この他にも,小規模な狭窄部やローカルなよどみによって発生したSlackwater堆積物が随所にみられる.

ちなみに,氷底噴火に伴って氷河の融解水が急激に排水されるアイスランドの“ jökulhlaup”現象でも,排水域にSlackwaterが発生していることが確認されており,その堆積物も記載されている.貯水に氷河が関連していて,排水のメカニズムも似ていることから,非火山性のイベントである“Missoula Floods”の排水現象を指す言葉としても“ jökulhlaup”が使われている.また,ScablandにはSlack Water型とは別の水流堆積物も存在しており,排水域の水流堆積物を総称して“ jökulhlaup堆積物”と呼ぶ場合もある.

私は,“Missoula Floods”の排水現象を指す言葉として“ jökulhlaup”を用いることは避けた方がよいと考えている.というのも,後述するように,Scablandを侵食した突発洪水の原因には,氷河ダムの決壊の他に,氷河底融解水の排出の可能性も指摘されており,本家アイスランドの jökulhlaupは,どちらかといえば後者の現象に近いからである.Bretz自身も,初期の論文の中で,洪水の起源の案として,急激な氷床の融解という考えと共に,jökulhlaupを例として挙げているが,あくまで氷底噴火とそれにともなう排水現象としての意味で用いている.したがって,氷河ダムの決壊を“ jökulhlaup”と呼ぶのは,対抗する諸説に対しても誤解を与えかねず,Channeled Scablandの議論のなかで“ jökulhlaup”という用語が用いられている場合は,その解釈に注意を要する.

Rhythmite.jpg貯水域の湖成層と排水域のSlackwater堆積物の両者は,砂・シルト・粘土サイズの物質がリズミカルに繰り返して級化層理を形成しているという特徴がある.このような堆積物を“Rhythmite”と呼んでいる.特に,Wallula Gapの背後にできたSlackwaterによって“Lake Lewis”という湖が一時的に形成されたと考えられており,その地域にみられるRhythmiteは,Flint(1938)によって,模式地とした地域の地名にちなんで“Touchet Formation”と命名されている.こうした貯水域の湖成層および排水域のSlackwater堆積物としてのRhythmiteが一般の湖成層と異なるのは,年層と考えられるシルト〜粘土サイズのvarv状の層の間に粗砂〜シルトサイズの層が入ってくること,そして繰り返しのセットが上位のものほど薄く細粒になる傾向があることである.

Slackwater堆積物が複数回の洪水を記録している可能性があることを最初に指摘したのも,おそらくBretzであろう(1969).同時に彼は,Rhythmiteの各層が非常に薄いので別々の洪水に結びつけることは困難であろう,とも述べている.Baker(1973)は,Slackwater堆積物のRhythmiteの層相が“Turbidite”とよばれる海底乱泥流堆積物によく似ていることを指摘し,Turbiditeに似た密度流のシーケンスとして解析できるのではないかと述べ,排水域のRhythmiteについて,堆積学的,層位学的に検討することの重要性を訴えている.

set-sSlackwater堆積物の中から複数回の洪水の編年学的根拠が出てきたのは,Foley(1976), Hammatt他(1976), Moody(1977), Mullineaux他(1978)などによって,St. Helens Ash set-S(13,000 yr BP)が見いだされてからである.それまでは,年代が得られそうな試料でも洪水によるリワークの可能性があるため決め手にはなっていなかったし,レスの中からGlacier Peak Ash(12,700 yr BP)とMazama Ash(6,500 yr BP)が確認されていただけであった(*).最新氷期末期に広域に降下したことが確実なset-Sによって,ようやくSlackwater堆積物の一層準の年代が得られたのである.また,set-Sを風成であるとする解釈(Bunker, 1980:MS thesis, UT; 1982: QR, 18)が,洪水の間に地表が露出していた時期があったことの根拠になっており(**),また,Lovett(1984: MS thesis, EWU)が古地磁気のデータからこれを裏づける結果を出している.こうして,set-S降下頃を境として,最低2回の洪水があったことは確実と考えられるようになった.しかし,この時点でもなお,数回の洪水という想定で議論されている(Webster他, 1976: WSU-Geology; Carson他, 1978: The Channeled Scabland, NASA; Moody, 1978: PhD thesis, WSU).

(*)最近,早川他(1998;地学雑誌)が,いくつかの第四紀テフラを確認している.

(**)つい最近では,この層準付近でマンモスの化石(14,570±50 yr PB)が発見されたこともあって,地表が露出していた時期をさらにサポートする材料となっている.

Burlingameset-Sテフラの発見がとりだたされているさなか,“Burlingame Canyon”と呼ばれる谷でTouchet bedを詳しく調査していたWaittは,Rhythmiteの上から11枚目と12枚目の間にもst-Sが挟まれているのを発見した.それ以前のWaittは,Okanagan Lobeの発達史を根拠に,Columbia湖を経由した“Missoula Floods”の流下時期は13 ka BP頃にしかありえない,などと主張するなど,せいぜい3回の洪水という想定に基づいた考えを示していた(1977, 1978).しかし,Burlingame Canyonでのset-Sの発見を契機に,貯水域の湖成層と排水域のSlack Water堆積物双方のRhythmiteの砂層のひとつひとつが1回のGlacial Lake Missoulaの決壊に対応する堆積物であるという新しい考えを提示するに至る(1980: J.Geology, 88).

つまり,彼の新しい説では,Rhythmite中の砂層の枚数を数えることで“Missoula Floods”の回数が分かるというのである.Waitt(1980)は,Burlingame CanyonのTouchet bedでset-Sの下にさらに28枚の砂層があるのを確認して,全部で39枚の砂層を数えた.さらに Atwater (1984: J.Geology, 12)はColumbia川上流のSampoilで89枚の砂層を数えており,現在では“Missoula Floods”の全発生回数はおよそ100回前後とみなされている(Waitt, 1994: Geological Society of America Annual Meeting, Chapter 1K ).

さらにWaittの主張は続くが,その話を続ける前に,ここで水源のGlacial Lake Missoula地域に堆積したRhythmiteの研究についても触れておく必要がある.Channeled Scablandの上流の“Ninemile”とよばれる地域でGlacial Lake Missoulaの湖成層を詳しく調べていたAltとChambersは,最初,varvの年層をカウントするつもりで作業にとりかかった.しかしすぐに,varvの間にシルト〜細砂の層が挟まっていることに気づくことになる.これは,排水域のSlackwater堆積物にみられるRhythmiteと同様の特徴であった.彼らはNinemileで36枚のシルト層を数え,これらを湖水が排水されて干上がった時の河床堆積物であると解釈し,Glacial Lake Missoulaが干上がった時期は35〜40回はあったはずだと主張した(Alt & Chambers, 1970: AMQUA abs; Chambers, 1971:MS thesis UM ).また,varvの縞は湖が安定して存在していた年数を示めしていると考えた.ただし,カタストロフィックな洪水を示唆するなんらかの根拠が,彼らの露頭の観察結果から直接示されているわけではない.

Waitt(1980)は上記のChambersらの結果を引用し,水源域の湖成層にもTouchet bedのようなRhythmiteがあること,そのシルト層の数がTouchet bedの砂層の数とよく対応することなどを根拠に,水源域のRhythmiteと排水域のRhythmiteとが対応しながら同時期に形成されたと主張した.したがって,Ninemileのシルト層は,Channeled Scablandを侵食した巨大洪水時に水源域で形成されたものであると結論づけている.逆にTouchet bedにみられる砂層の間のvarv状の堆積物の縞も,水源域の湖成層と同様に静穏期の年数を示めしているとWaittは考えた.

Burlingame CanyonでのWaitt自身のカウント,およびNinemileでのChambers(1971)のカウントなどを総合して見積もられた“Missoula Floods”の間隔は,初期には50年程度で,その後次第に短くなり,最終的には10年以下になるという(Waitt, 1985: Geological Society of America Bulletin, 96).このことは,ローブを南下させてダムを形成していた氷床の衰退過程を反映したものと解釈している(Waitt, 1985: Geol. Soc. Ame. Bull., 96).set-SやGlacier Peak Ashの年代を基準にしてこれらを総計すると,“Missoula Floods”が繰り返し起こっていたのは,最新氷期末期の15,300〜12,700 yr BPのおよそ2,600年間だったといえる.初期の“Missoula Floods”のピーク流量は,2000万m3/sであり,末期ではその1/100の20万m3/sに弱まったと見積もられている.

Glacial Lake Missoulaの決壊のメカニズムは比較的簡単で,水をせき止めていたPurcell Lobeが後退したり,氷河のダムが貯水の浮力によって浮き上がったりすることで,氷河湖が決壊したものと考えられている.また,水の流下はおおよそ以下のような過程を経たと考えられている.

    evacuation.jpg
  1. Glacial Lake Mssoulaから,もう一つ下流にある氷河湖,Glacial Lake Columbiaへの流入.

  2. Glacial Lake ColumbiaからChanneled Scablandへの流出(*).

  3. 地形的狭窄部により,一時的にLake LewisとLake Condonを形成.

  4. Willamete Valleyの浸水をへて,大平洋に向かって流下.
(*)主に南部へのオーバーフローによるが,西端にはOkanagan Lobeによる氷河ダムがあって,Grand Couleeの侵食にはこのダムの決壊が関与している可能性も指摘されている(Bretz,1969; Baker & Bunker,1985: QSR, 4).

こうしてWaitt氏やAtwater氏らの一連の研究によって,数回の巨大洪水という従来の考えは,氷床の衰退に規定されたやや小規模の氷河ダムの決壊の繰り返しという構図に置き換えられた.Bretzの説は,その構図自体が否定されないまでも,激変の度合いはかなり弱められることになったのである.その意味で,“Spokane Floods”の水源としてGlacial Lake Mssoulaが結びついた初期の“Missoula Floods”説に対して,Waitt氏らの考えは,“Multiple Missoula Floods”説ということができる.

それにしても1980年のWaitt氏の“Multiple Missoula Floods”説への転換は唐突である.その原因を考えてみると,彼はもともと火山地質が専門であったことが原因なのではないかと思われるふしがある.火山地質においては,テフラの降下は一つの大きなイベントである.Touchet bed中にset-Sテフラを発見したWaitt氏は,おそらく,Rhythmite中の砂層もテフラの降下と同様の地質学的イベントとして考えられないだろうか,というひらめきを得たのではないかと推測する.また,それまでは,大勢に従うかのように数回の大洪水という構図でScablandの発達史を考察していたとはいえ,実はその時からすでに,完全にBretzの激変説を受け入れていたわけではなかったとも思われる.そのことは, Waitt(1985)の文末に書かれている以下の文章に読み取ることができるであろう.

“The concept that Lake Missoula discharged regularly as jökulhlaups now accords Bretz' catastorophe with uniformitarian princeples.”... Waitt(1985)

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